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2月13日(水)全校朝会
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「四知(しち)」について触れました。およそ次のような話をしました。 古代中国に、揚震(ようしん)という位の高い役人がおりました。ある夜、彼の元に、お金を届けに来た男がいました。揚震に推薦してもらって役人になれた男でした。男の持ってきたお金は、賄賂だったのです。賄賂というのは、自分だけ良くしてもらうために、こっそりお金を届けることです。 「まあ、こんな夜中ですし、だれも見ているいる人はいませんから、受け取ってください。」とその男は言い懐からこっそりお金を取り出し渡そうとしました。 すると揚震は、「私は君の人柄を見込んで推薦したのに、君は私を見くびっていいる(軽い人間だと思っている)。」と言うと、「君は誰も見ていないと言うが、天が見ているではないか。地が見ているではないか。私が見ているではないか。君も見ているではないか。知るものがいないなど とんでもない。!」と一喝しました。 こういわれた男は、たいそう恥じてその場を去ったということです。 揚震は、賄賂など絶対に受け取りませんでした。そのために、家族はいつも貧乏で粗末な食事をしていました。しかし「私は子孫に財産を残したいとは思わない。後々まで、嘘偽りのない正直(しょうじき)な人の子孫だと言われればそれで満足だ。これが最大の遺産だ。」と答えたそうです。 この言葉は「天知る。地知る。我知る。人知る。」とも呼ばれています。つまり四つの知る、四知(しち)と言われる有名な言葉です。 だれも知らないと思っていても、自分以外に知っている人は必ずいるものです。なにより天が(お天道様)が見ているではないか。地面が見ているではないか。天罰を食らうといいますが、悪い報いがあると私は信じます。 このことは、悪いことを誰かが見ているだけでなく良い行いも同じです。誰も見ていないと思っても、良い行いも、天や地や誰かがきっと見ていてくれるということにもつながります。そして、良い行いをしていれば、必ず、あとで良いことがあります。日本には「陰徳」というものがあり、大切にされてきました。人に知らせずひそかにする善行のことです。ちなみに「陽徳」というものもありまして、人が見ているところで徳を積むことをいいます。 善...