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2月, 2025の投稿を表示しています

2月19日(水)2月前半の給食献立です。

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2月13日(水)全校朝会

  「四知(しち)」について触れました。およそ次のような話をしました。 古代中国に、揚震(ようしん)という位の高い役人がおりました。ある夜、彼の元に、お金を届けに来た男がいました。揚震に推薦してもらって役人になれた男でした。男の持ってきたお金は、賄賂だったのです。賄賂というのは、自分だけ良くしてもらうために、こっそりお金を届けることです。  「まあ、こんな夜中ですし、だれも見ているいる人はいませんから、受け取ってください。」とその男は言い懐からこっそりお金を取り出し渡そうとしました。 すると揚震は、「私は君の人柄を見込んで推薦したのに、君は私を見くびっていいる(軽い人間だと思っている)。」と言うと、「君は誰も見ていないと言うが、天が見ているではないか。地が見ているではないか。私が見ているではないか。君も見ているではないか。知るものがいないなど とんでもない。!」と一喝しました。 こういわれた男は、たいそう恥じてその場を去ったということです。  揚震は、賄賂など絶対に受け取りませんでした。そのために、家族はいつも貧乏で粗末な食事をしていました。しかし「私は子孫に財産を残したいとは思わない。後々まで、嘘偽りのない正直(しょうじき)な人の子孫だと言われればそれで満足だ。これが最大の遺産だ。」と答えたそうです。 この言葉は「天知る。地知る。我知る。人知る。」とも呼ばれています。つまり四つの知る、四知(しち)と言われる有名な言葉です。 だれも知らないと思っていても、自分以外に知っている人は必ずいるものです。なにより天が(お天道様)が見ているではないか。地面が見ているではないか。天罰を食らうといいますが、悪い報いがあると私は信じます。 このことは、悪いことを誰かが見ているだけでなく良い行いも同じです。誰も見ていないと思っても、良い行いも、天や地や誰かがきっと見ていてくれるということにもつながります。そして、良い行いをしていれば、必ず、あとで良いことがあります。日本には「陰徳」というものがあり、大切にされてきました。人に知らせずひそかにする善行のことです。ちなみに「陽徳」というものもありまして、人が見ているところで徳を積むことをいいます。 善...

2月12日(水)第3学年「むねおか学」最終プレゼンテーション

  義務教育修了間際の3年生が宗岡の未来について提言を行いました。志木市や宗岡地区が抱える課題を生徒自らが浮き彫りにしました。そして解決につながる策を案出しました。この発表場面に臨場して、私がもっとも驚いたことは提言が単なる「理想語り」ではない、ということです。市の財政状況(歳入の見込みなどを含む)、人口動態、生産動態などの正確な統計資料を活用しながら、(こういう言葉はないと思うのですが)「現実語り」がなされていたことです。他人事(ひとごと)ではないという気迫に漲っていました。自分たちの現実を自分たちの知恵と思考で変成しようとする力強さを感じました。市への提供を考えます。

2月6日(木)第2学年校外学習(東京方面)

志木駅を発着地点とした公共交通機関による移動、団体・グループ活動を通じた集団の中での役割の自覚と遂行などを目的に校外学習を行いました。自分たちで立てた行程に沿って、自分たちで行動しました。途中で予定を変更しなければならないこともあったはずです。そういうときに、落ち着いて、しなやかに対応できるかどうかが、中学生に求められる大きな力の一つです。来春の修学旅行につながる、この取組について成果と課題を十分に検証してください。

2月5日(水)1月後半の給食献立です。

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1月28日(火)~29日(水)第1学年スキー教室

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  初日は早朝から大きな荷物を抱え正門付近に集まりました。「行ってきます」と元気な声であいさつしてくれました。快晴の日もあれば、終日雪の日もあったようです。ゲレンデのコンディションが変化する中、生徒は技術の向上を目指してそれぞれが真剣に取り組みました。保護者・地域の皆様には当日を迎えるための準備、生徒の送迎はもとより、バスの誘導等、様々な面でお支えいただきました。改めて感謝申し上げます。

1月21日(火)学校運営協議会

今年度の教育活動を振り返り、学校運営の改善にむけた協議を行いました。教職員による自己評価、保護者・生徒のみなさんにご協力いただいた調査などの結果を基に成果や課題を洗い出し、これからの宗岡二中の在り方について検討しました。整いましたら、このホームページに公表いたします。